Author: Jane Austen
翻訳版の有無: あり「エマ」
映像化: あり。「エマ」
英語レベル: Advanced(洋書を一年に1冊読了できるレベル)
この本を読むと、「おせっかいおばさんという言葉に年齢の制限がないことに気づかされる」というベネフィットを得られます。
この作品のユニークなところは、主人公のエマが百戦錬磨の遊び人でもないのに、自分は人の恋のキューピッドが出来るという自信を持っていること。
いやぁ、参った。
エマ、世間知らずですよ。
なのに人の恋路に足を突っ込んで、本懐を遂げられると思っている。
ここでいう本懐とは、人の恋を成就させること。
エマは地主の次女。
長女イザベラは、ジョン・ナイトリー氏と結婚し子供を得て、実家を出ている。
ほんわかする印象の姉イザベラ(とエマは思っている)と対照的に、頭の切れるエマは、独身を貫く覚悟を持って父と一緒に住んでいる。
そんな彼女は最近、自身の家庭教師であるアン・テイラー氏がやもめのウェストン氏と結婚する予感を当てたことからその気になり、自分には人の恋時を取り持つ才能があると思い込んでいます。
自身には恋のキューピッドの才能があると信じ込んだエマは、彼女を崇拝するハリエット・スミスを素敵な男性にめあわせることに力を入れています。
ハリエットの相手として選んだのは、牧師のエルトン氏。
ですが、エルトン氏はエマが好きだというから、事態はエマの思うようにはいかなくなる。
その後、いわゆるご近所さんのベイツ氏の親類筋のジェーン・フェアファックス嬢とのちょっとした確執や、家庭教師アンの義理の息子となった気のよいフランク・チャーチル氏との交流を経て、エマはおせっかいおばさんを演じる中で自分の幸せとは何かということに向き合っていきます。
先述したように、エマは世間知らずなのですが、自分には人の恋路を結ばせる才能があると思い込んでいる女性。
エマは結婚しているわけでも、恋愛経験が豊富なわけでもない。
でも根拠のない自信で暴走しています。
確か年齢も二十歳をちょっと過ぎた頃という年代です。
第三者からすれば、人の恋路をどうこう考えるより、エマ自身の恋や結婚を考えた方がいいのではないかとも思いますが、彼女は自分よりも相手の恋物語が成就することを期待する女性なんですよね。
ちょっと、エマは暴走しているとも思ってしまうのが私、読者なのですが。
彼女の暴走は、外の世界と関わり合いたがらない父親と過ごすことも一因にあると私は思います。
妻を亡くし、長女は結婚し、ウッドヴィル氏の視点から見れば、これまで自分が築いた人間関係の輪から人がいなくなっていく。
自分が関わった世界がどんどん狭まっていく恐怖が、ウッドヴィル氏を取り巻いています。
エマの父親はその事実を受け入れられない人として描かれていますが、エマ自身は父と自分の人生をうまく渡り合っています。
その繋がりを絶たれないよう苦慮するため、エマの行動が暴走していくことになるのですが、そんな暴走列車みたいなエマを窘めてくれるのが、姉イザベラの夫の兄であるジョージ・ナイトリー氏。
彼は自身より十歳以上年が若い、おせっかいおばさんを演じるエマを冷静に見守っています。
本作の面白さは、やはり根拠のない自信をもって年齢の若いエマが、恋愛のキューピッドを務められると自信を持っていること。
物語の早い段階で、ジョージ・ナイトリー氏から窘められているエマですが、その言葉を無視しています。
彼女の力をの範囲外で、思いがけない人間関係が形成されていきます。
そして、やっぱり面白いのが、繰り返しますがエマの根拠のない自信。
自分を慕ってくれるハリエットの恋路がうまくいかず、次の手を打とうとして近づいた家庭教師アンの義理の息子に関係する新しい人間関係の形成。
若いエマがおせっかいおばさんを演じるのは少し滑稽だけど、人の力ではどうしようも出来ない事柄もエマの思惑とはそぐ合わない形で表沙汰されていくことが面白い。
この作品を通じて、おせっかいおばさんは何歳からでも成ろうと思えばいつでもなることが出来るんだなと感じさせられました。
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