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Book Report: Everything I Never Told You

  • 執筆者の写真: Masumi
    Masumi
  • 7月20日
  • 読了時間: 4分

Author: Celeste Ng

翻訳版の有無: あり。秘密にしていたこと

映像化: なし

英語レベル: Advanced(一年間で一冊洋書を読了できるレベル)


この作品を読むと、近しい親子関係だからこそ、線引きが必要だと改めて感じさせられる」というベネフィットが得られます。

 

家族に関し、最近の新しく生まれた言葉に、「毒親」とか「親ガチャ」があげられます。

大人も子供も、人の子として、主観で自身の親を見た時に、その親に非がある言い方をする言葉ですね。

児童虐待など明らかな事柄を除外した前提で、親に非がある場合というのはどういう時でしょうか。

 

私の個人的な考えになりますが、初めから毒になるような親はいないと思っています。

大体の場合、親は自分の子供に対して愛情を持つところがスタート地点にあるのでは、というのが私の考えです。

親も一人の人間なので、仕事のストレスや親側の家族間の軋轢などを理由に、その時々で気分の浮き沈みがあり、たとえ自分の子供相手でも感情をぶつけてしまうことはあります。

そういったことを抜きにして、親は基本的に、自身の子供に対し愛情は持っていると思います。

また、望まない形で人の親になった場合は、この考えは当てはまらないと思います。

では、愛情をもって子供に接していたにも関わらず、親の立場の人は、どの時点で「毒親」になったり子供から「親ガチャ外れた」と言われる存在に変わってしまうのでしょうか。

愛情があるからこそ、これはセンシティブで、難しい議題です。

 

本作はまさに「毒親」「親ガチャ」をテーマにした作品です。

冒頭、主人公リディア(Lydia)の死を知らせる文章から始まり、リディアの両親ジェームス(James)とマリリン(Marylin)がいかに「毒親」「親ガチャ」なのかを描いていきます。

難しいのは、先に記したように、両親はリディアに深い愛情をもって接していたため、客観的に見れば、ストレートに愛情深い両親なのです。

ただし、客観的な観察をさらに深く俯瞰すると、その愛情には偏りが感じられます。

リディアには兄ネイサン(Nathan)と妹ハンナ(Hanna)がいますが、両親の愛情は彼らを素通りします。

時代は1970年代。

父ジェームスは中国移民のルーツを持ち、周囲に溶け込むことに苦しんだ過去を持ちます。

母マリリンは、白人のためジェームスのような人種に関する苦労はないものの、学生時代は医者を目指し、それゆえに男性社会が強い医学の世界で苦しみました。

学生のマリリンが歴史学を教えるジェームスの講義に参加したことで二人が出会うのですが、その後結婚し、二人が若い時に叶えられなかった夢がリディアに託されたことで、リディアが苦しんでいくのです。

人種の違う両親のもとに生まれ、一番白人の風貌を持つのがリディアだったため、両親から可愛がられました。

一方他の子供達ですが、ネイサンは周囲に溶け込めない幼少の自分を思い起こさせることからジェームスに疎まれ、ハンナは二度目の医学への挑戦中に妊娠がわかったことからリリアンから疎まれた背景があります。

よって、兄と妹に向けられるべき愛情が、リディアにのみ向けられたことで、彼女が一番重苦しいと感じる愛情を与えられるのは必然とも言えます。

諸々の理由から両親からの一方通行の愛情を拒否できないリディア。

本作がサスペンスでないため、リディアの死に他人が関わっておらず、リディア本人によってもたらされたのですが(死の原因が、自ら死を選んだか、事故だったかは読んでみてください)、両親からの愛情以外にも、特に近しい兄の大学進学や、隣人の学生ジャックとの秘密の共有の影響も大きく関わります。

周囲の影響力に対し、リディアが耐え切れなかったというのが正しい見解でしょう。

 

親が与える愛情に対し、必死に応えようとするリディアは一見親思いのようにも見えますが、親のカラーに染まる=自分のカラーが薄まるという構図となり、リディアの苦しみが濃くなっていきます。

まだ十代の若く、自分の力だけで生活するには無力だったリディアですが、小さな勇気を出して両親の期待に対し線引きができたら、また結末は違っていたのかもしれません。

親に意見するのは、結構勇気と力が要りますが。


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