Book Report: Howl's Moving Castle
- Masumi
- 2023年3月26日
- 読了時間: 5分
更新日:2023年3月27日
Author: Diana Wynne Jones
翻訳版の有無: あり。「魔法使いハウルと火の魔法」
映像化: あり「ハウルの動く城」
英語レベル: Advanceレベル寄りのBasic(洋書に一日3分向き合える)
*続編に「アブダラと空飛ぶ絨毯(Castle in the Air)」「チャーメインと魔法の家(House of Many Ways)」あり
この本は、こんな人達にオススメします。
・本当は冒険したい人
・自分がどうしたいかより、周りにどう思われるかを考えてしまいやすい人
・イギリスに興味がある人
日本人なら馴染みのある、宮崎駿氏の作品の一つとしてリリースした「ハウルの動く城」。
様々な理由で私は、好きな作品上位から外した本作。
一番の理由は、この作品を観て大きくなったわけではないので、アタッチメントがないから。
映画作品に対する感情移入も難しかったのですが、縁あって原作の洋書と出会い、今回読み進めることにしました。
何かの折に、映画と原作は内容が結構違うことを知っていたので、別物として挑戦しました。
そして、すっかり原作のファンです。
これは複数のキーワードがちりばめられた作品です。
御伽の国と現実世界の対比、思い込みの強さ、自分はどう生きたいかを訴える作品です。
舞台は、魔法が世にはびこるインガリー(Land of Ingary)。
「兄弟の一番上に生まれた人は、冒険や挑戦をすれば必ず失敗する」という、お伽話のテンプレートをそのまま信じるソフィー・ハッター(Sophie Hatter)は、典型的な長女気質の女性。
妹レティー(Lettie)、継母ファニー(Fanny)、異母妹マーサ(Martha)と暮らす慎ましい生活は、父ハッター氏の死により一変。
金銭的に教育を諦めることになった三人娘は、ファニーの采配でそれぞれの道を行くことになります。
ソフィーは、ファニーの元で実家の帽子屋で見習いをする道を与えられ、接客技術が未熟であるため帽子作りという裏方へ回ることに。
退屈な毎日を送る中、とはいえ「兄弟の一番上に生まれた人は、冒険や挑戦をすれば必ず失敗する」という刷り込みがあるため、冒険出来ずに悶々と過ごします。
与えられた環境下で生きるしかないと思い込むソフィーは、ある日帽子屋を訪ねた荒れ地の魔女(Witch of the Waste)に魔法を掛けられ、九十歳の老婆に変化してしまいます。
そんな姿ではファニーとも応対出来ないと、ソフィーは家を出ることに。
そして足を運んだ先は、魔法使いハウル(Howl)が住む城。
ハウルは、女性の魂を食べてしまう悪い魔法使いとされ、インガリーの住民から恐れられていますが、ソフィーは「自分なんて相手にされない。まして老婆になった今、彼から魂を狙われることはない」と、城に乗り込みます。
ソフィーが魔女から魔法を掛けられてしまう点は映画と同じですが、原作は登場人物の変化だけでなく、舞台となるインガリーがイギリスのウェールズ地方と密接な関わり合いを描いています。
いたるところにウェールズに関する情報が出てきます。
お伽話を題材にしたアイテム、ハウルが使う偽名とその名前など。
先述の理由のため映画版はあまり記憶がないのですが、動く城に出てくるドアノブの行先も原作と映画版とで異なる印象です。
特に黒は、先ほどのウェールズ地方と密接なかかわりを持ちます。
さて、私がこの作品を読んで感じたことは、「自分が思った通りのことが現実になる」というのは本当だという点です。
ソフィーは先述のとおり、自分が何かに挑戦しても、兄弟の一番上だからお伽話のように失敗するに決まっているという思い込みを持っています。
よって、中々新しいことに挑戦出来ません。
与えられた環境に不満はある、でも自分の力で変えられないと思い込んでいます。
心のどこかで妹達への憧れや妬みがあるように感じますが、ソフィーはそれすら向き合えず、変えられずといったこじらせ具合も強いです。
おそらく、ソフィー以外の誰かになりたいんだなと感じました。
そして魔法で老婆に変えられてしまい、ある意味現時点の自分以外の誰かに生まれ変わってしまいます。
その時のソフィーの行動力といったら 笑
ここは映画版を観た時も感じたので覚えていますが、老婆に変えられて驚きはしつつも、ソフィーは人生に悲嘆して内側に閉じこもるのではなく、家族に自分だと認識してもらえないから出ていくと言って帽子屋を飛び出すのですよね。
本来の彼女は臆病で変化を嫌う女性として描かれていたのに、現時点の自分ではない誰かに変えられたら、あっという間に行動に移す女性に変化します。
なので、本当は自分の意志で行動に移せるのですよ、ソフィーは。
ただそれを、自分は出来ないと思い込んでいるだけ。
私達も、彼女と似たようなことをする場合もありますね。
私もあります。
特に顕著なのは、日本語を話す私と英語を話す私は、性格が異なります。
多感な十代を英語メインで過ごしたためでしょうか、英語を話す私の方が大胆です。
日本語を話す私の方が、人の目を気にしています。
ある意味、英語を話す私は自分を主張したい気持ちが強く、日本語を話す私は相手への配慮や思いやりの気持ちが強いのでしょう。
どちらも私です。
面白かったのは、ソフィーのように自分のアイデンティティに悩む人物が彼女だけではなかったこと。
ハウルは、荒れ地の魔女に命を狙われるだとか、反対にインガリーの女性達の魂を狙うとか、危険な匂いをさせることで必要以上に相手を近寄らせない予防線を張っているようでした。
お洒落好きが純粋な気持ちからきているのなら良いのですが、彼が偽名を使うことから自分を何かから隠そうとしているのではと、私は読み取りました。
また、ソフィーの妹達のレティーとマーサは、自分達が描く未来と母が準備した就職先とに乖離があり、その悩みも作中で描かれます。
彼女達は、自分たちのなりたい姿を模索し苦悩する存在として描かれています。
映画版、うぅん、この際再挑戦してみようか。
続編(厳密には姉妹編らしい)があるので、読書派の私はそちらに心惹かれています。

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