Author: Authur Golden
翻訳版の有無: あり「さゆり」
映像化: あり。「SAYURI」
英語レベル: Advanced寄りのBasic(一日3分英語と向き合えるレベル)
この本を読むと、「自分の人生が何によって生かされているか考えさせられる」というベネフィットを得られます。
昨年、私はあるインフルエンサーのワークショップに参加したのですが、その方はご自身のメイン活動のアウトプットの他に、「皆さんはなぜ生きるか、どのように生きるか」というテーマでお話されました。
別のインフルエンサーもご自身の動画サイトで同じテーマで発信されていたので、外に向けて発信する方々は「なぜ生きるか」をテーマに取り上げて啓蒙する必要があるんだと、改めて感じた出来事でした。
私の場合は、英語という言語はコミュニケーションの手段であり、それを通じて英語を楽しく学べるという発信をする、英語を通じて素晴らしい文字作品があることを共有するという気持ちで行っています。
さて本作も同じように、自分は何によって生かされているか考えさせられる内容になっています。
漁が生活の生業となるある村で、主人公ちよ(Chiyo)は母の死に会い、生活のため姉さつ(Satsu)と共に京都へ売られていきます。
姉と違い見た目が麗しかったちよは姉と引き離されて置屋に引き取られ、将来芸者となるための修行を積むことになります。
急な環境の変化に馴染む間もなく、ちよはいわゆる小姓(禿かもしれない)として働き詰めに。
ちよを買い彼女へ投資した手前厳しい置屋の主人「お母さん」(Mother)、気難しい手代「おばあさん」(Granny)、口うるさいが本当は優しい「おばさん」(Auntie)という個性豊かな大人達に囲まれるちよ。
彼女の芸者時代を通じて対立関係になる先輩芸者の初桃(Hatsumomo)、彼女の下について修行する同じ禿のおかぼ(Pumpkin)とも作品の当初から関わっていきます。
とはいえ、初めから芸者なるつもりもないちよは、ある出来事がきっかけで怪我を負い、その結果芸者の道が閉ざされることに。
おばさんのように表舞台に立つことなく、初桃とおかぼの世話に明け暮れる年月を経験した頃、お使いに出たちよは唐突に京都の外へ出る道が絶たれ、現状から抜け出すことも叶わないと悟り泣いてたところに、彼女は転機ともなる出会いを果たします。
それが「会長」(Chairman)という男性との出会いでした。
仕事で祇園を訪れていた会長は、泣いているちよを見かけ、取り巻き達と歌舞伎を見に行く道すがらを途中退場し、ちよを慰めてあげます。
その時に渡した会長のハンカチを大切に持ち続け、ちよは芸者への道へ戻る決意をします。
必ず芸者になり、会長と再会して彼に伴う。
彼女は生きる希望をこの会長に見出すのです。
ちよと会長との間に起きた出来事は、何の特別なこともない、とりとめのない時間でした。
大人が泣いている子供を宥めるために、おやつを買い与えて涙を拭いてあげる。
こういった時間でしかなく、あっという間に忘れてしまえるものです。
ちよはこの僅かな時間を大切にし、毎日の生活の糧として過ごしてきました。
その後、幸運にもちよの存在を知った芸者の豆葉(Mameha)が姉芸者になるオファーをしてくれたおかげで、無事にちよも芸者への道が開けていきます。
後に様々な種明かしがあり、ちよは自分を生かしてくれた人達への感謝を示しているのですが、人との縁は不思議なもので、「ほんの些細なあの出会いがなければ今の自分がいなかった」という実感をちよは感じるのです。
私達も人生の転機となる出来事というのは、ほんの些細な「あのあの出来事」というパターンが多いのではないでしょうか。
私もある友人と二十年来の付き合いを続けられるのも彼女と学校の昇降口での朝の挨拶をしたことがきっかけでしたし、今の職場への部署移動したのも業務外の仕事を断ったりせず仕上げてきたことがきっかけでした。
また、心の支えとして秘める出来事もありますね。
ちよの場合はこの会長との出会いと、芸者になって彼と再会するという希望が心の支えとなり、毎日をつましく生きていました。
彼との出会いがなければ、一生懸命生きようというモチベーションにも繋がらなかったと思います。
私の場合も、自分の楽しみとして洋書を読み続けたいということを糧に英語力をキープしていますし、読んだ作品を広めて人と好きな作品について語り合いたいというモチベーションを糧に生きていることも事実です。
私達は支え合いながら生きているとよく言いますが、本作は他者から受ける影響力の強さを感じずにはいられない作品となっています。
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