Author: Tove Jansson
翻訳版の有無: あり「ムーミン谷の十一月」
映像化: なし
英語レベル: Advanced(一年に一冊洋書を読破出来るレベル)
この本を読むと、「人を待つ時間を楽しめる」というベネフィットを得られます。
皆さんは待ち時間に対してどういう印象を持ちますか?
何か雑務をこなす時間に充てられる、という好印象を持つ人もいるでしょうし、人を待つ時間は自分がやりたいことが出来ないという、拘束されたと感じる方もいるでしょう。
本作は、シリーズ通じて初めてムーミン一家が不在となり、彼らが元のムーミン谷に戻るまでの間、家族を待つキャラクターたちの様子を描く作品になっています。
ちょうど十一月、という今私がこの記事を書いている月で、なんとなく季節感もリンクします。
放浪癖のあるスナフキンは、旅の最中にムーミン一家を思い、彼らに会いに行きます。
親友のムーミントロールは、スナフキンが旅に出るというと毎かい寂しい顔をするのですが、一家の温かさに感謝しつつも一か所に留まることが苦手なスナフキンは、ありかたいと感じるも感謝の気持ちを伝えたことはなかったようです。
思い立ってムーミン谷を訪れたスナフキンですが、一家は不在で家を空けていました。
時同じくして几帳面で何につけても不安に感じるフィリージョンカも、温かみある一家に会いたくなり、一人ムーミン谷を訪れます。
その他にも一家に会いたくてやってきた面々がいて、家はもぬけの殻だとわかり、仕方がないので、一家が出かけた先から戻ってくるのを家で待つ様子が描かれています。
(見知った相手とはいえ、不在中に鍵を開けて友人を自由に過ごさせるムーミン一家のおおらかさ、危険のない環境が信じられないです。物語なので非現実的といえばそれまでですが、安全安心な世界が羨ましいですね。)
見知らぬメンバーが顔を合わせて生活するのですから、仕切り屋がいれば自由に動き回りたい人もいる。
ヘムレン(このヘムレンは過去作品でも登場した人と同じキャラクターでしょうか)は仕切り屋で、役割分担をきっちりしたい人。
リトルミーの姉ミンブルの娘は、妹リトルミーほどではないけれど自由にしたい人。
べきねば論を持つフィリージョンカは、自分のペースで動きたい人。
普段は一人で住み家事も課題なくこなせるので、彼女はもっと家のことをしたいと思っていても、仕切り屋のヘムレンにペースを乱されてイライラする様子なども出てきます。
他にトフト(Toft)とグランブル翁(Grampa Grumble)というキャラクターが登場する本作ですが、通じて「待ち時間をどう過ごすか」ということが問われます。
待ち時間を過ごすことをTo kill timeと表現しますが、直訳すると時間を殺すという何とも物騒な表現になります。
時間を使うspendや時間を楽しむenjoyでないのだから、待ち時間というのはネガティブな意味合いとして取り扱われることが多いのでしょう。
時間が過ぎるのを受け身で待つことも決して悪いことではありませんが、有限な時間ですから、価値あるものにするために、明るい気持ちでその待ち時間を過ごし、楽しめるといいものですね。
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