Author: F.Scott Fitzgerald
翻訳版の有無: あり「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
映像化: あり。「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
英語レベル: Advanced寄りのBasic(一日3分英語と向き合えるレベル)
この本を読むと、「何気ない時間の流れを意識することができる」というベネフィットを得られます。
私は海外経験がありますが、海外に在住した時間を除くと日本で生活しているわけで、つまり日本での生活拠点は生まれ故郷である宮城県です。
というなので、東日本大震災も経験しているのですが、あの震災で時間の使い方を意識するきっかけをもらったと言っても過言ではありません。
あの時の自分と今の自分では、年齢差があるために時間の使い方に関して考え方も異なります。
あの時より年を重ねた今、時間の使い方、特に何気ない時間の流れがいかに大切か実感しています。
それを感じさせる作品に今回、また出会いました。
本作「ベンジャミン・バトン」を手掛けたフィッツジェラルドは、「グレートギャツビー」でも有名な作家で、殺伐とした書き方ながら人の欲を描くのが上手です。
「グレート・ギャツビー」は名誉、本作とそれ以外にも含まれた三作品もよく読みこむと人の欲について描かれた作品でした。
さて、まず本作は時間の流れの欲。
私達は、特に年齢が若いと時間があるのは当たり前のことのように感じます。
ですが、記号にすると左から右へ流れる時間の流れを当たり前のように感じられる人間ばかりがこの世に存在しているわけではありません。
バトン家に生まれたベンジャミンは、老人の姿と知性を持って生まれました。
つまり、赤ん坊でありながら姿かたちは経験を積んだ老人。
ベンジャミンは時間を逆行して生きる運命の持ち主なのです。
時間の流れが当たり前でない、という題材はタイムトラベルものでも読んだことがあります。
Audrey Niffeneggerの「The Time Traveler's Wife」(タイムトラベラーズ・ワイフ、きみが僕を見つけた日)では、タイムトラベルするヘンリーと彼ののちの妻となるクレアの恋物語を描いていますが、ランダムにタイムトラベルするヘンリーと普通に時間を過ごすクレアとの間で時間の流れが異なる二人にはそれが障害となって描かれました。
本作、「Benjamin Button」では、普通の人と違い時間が逆行するベンジャミンを描く物語となっています。
一体どんな気持ちでしょうか。
生まれた時は年老いた自分でいて、時間が経つにつれ若返っていくというのは。
作中でも、ベンジャミンは精力的なのに妻となる相手はエネルギーが消費され、疲れている様子に辟易する姿が描かれています。
愛した相手であるはずなのに、自分と違いエネルギーがしぼんでいくパートナーの姿を見るというのは、どんな気持ちだったのでしょうか。
私達は一般的に、時間の流れの記号でいうと右に向かっていくため、年を重ねてエネルギーが小さくなっていきますが、年齢を言い訳にしない人はどんなに年を重ねても行動的です。
私もこういう人でありたいと思いますが、まさに本作はそれを意識させられる作品です。
段々若返っていく姿に、ベンジャミンは妻との距離を感じ、また子供にも恵まれますが、子供は通常の時間の流れに沿って生きている人ですから、若返っていく親の姿というのもまた厄介。
夫婦の葛藤だけでなく、親子の葛藤も垣間見ることが出来る作品になっていますが、その一瞬一瞬が大切だと感じさせられます。
私の身の回りにタイムトラベルする人はいないので(当然といえば当然)、ファンタジー作品における悩みを感じることはありませんが、時間の流れや、現世を去る寂しさに身を切られる思いをしたことはあります。
その時を思うと、「若いから十分に時間がある」ということは全然なくて、与えられた時間一瞬一瞬を大切にしたいなと思わされるのが本作の魅力でした。
ショートストーリーながら、存在感があるのがフィッツジェラルド作品。
他に収録された三作品は、女性の見た目をテーマにした「Bernice Bobs Her Hair」、モテ男のちょっとした小話「The Jelly-Bean」、戦争後の待遇と裏腹に退屈な時間を味わった主人公のエピソード「Dalyrimple Goes Wrong」となっています。
見た目を気にする点では「Bernice Bobs Her Hair」が共感出来る物語でした。
髪の毛がショート、ということに何も感じませんが、髪の毛をテーマにした本作から、髪の毛が短いということに対する人々の印象を感じさせられます。
なお、調べると、「Dalyrimple Goes Wrong」以外は結構ウェブで文献を確認することが出来ます。
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