Author: A.F.Harrold
翻訳版の有無: あり「ぼくが消えないうちに」、「屋根裏のラジャー」
映像化: あり「屋根裏のラジャー」
英語レベル: BasicよりのAdvanced(一年に一冊洋書を読破出来るレベル)
この本を読むと、「空想と常識の狭間で人は成長していくと思える」というベネフィットを得られます。
過去にスリラー映画「ハイドアンドシーク」をちらりと見たことがあり、海外の子供は空想上の友達を作るものなのかという
偏見めいたものを私が持っていましたが、本作は自分の想像するキャラクターと友情を育むというもの。
現実世界の自分と想像上の友達は、お互いはその存在を認め合いつつも、本来は独立した世界で生きる設定になっています。
アマンダには想像上の友達のラジャーがいます。
クローゼットから飛び出した彼と出会い友達になった、というのが二人の友情の始まりです。
彼女の母親はアマンダの想像の友達に寛容で、アマンダがラジャーと一緒に食事をするという発言をしても、彼女のイマジネーションを尊重し、ラジャーの分の食べ物も配膳してあげます。
(のちのエピソードで、彼女も想像上の友達を作った過去があることがわかります。)
こういう想像上の友達をイマジナリーと呼びました。
ある日、彼女たち一家に見知らぬ年を重ねた男が訪ねてきます。
アマンダの母には見えませんでしたが、アマンダとラジャーには重く暗い印象の想像上の少女がこの男のそばに立つ様子を確認します。
彼も想像上の友人イマジナリーを連れていたのですが、のちにこの男が、イマジナリーを食べてしまう恐ろしい存在だということがわかりました。
しかも、事故をきっかけにアマンダに危害が加わり、ラジャーは彼女から離れてイマジナリーたちが避難する図書館を訪れることに。
この図書館を拠点にアマンダの元へ戻ろうとラジャーは奮闘し、また危険な男の手から逃れようと模索します。
アマンダとラジャーは、現実世界と彼女の想像世界という二つの独立した世界にいる存在です。
基本的にアマンダの意識がラジャーに行くことで、二人は交錯することになるのですが、現実世界にいる人から想像世界の様子は見えません。
つまりアマンダもより現実世界に自分の意識を置き始めると、ラジャーがいる想像世界が存在する力が弱まっていくという構造になります。
想像世界はあくまでその人の頭の中だけに存在するものなので、成長すればいつかラジャーもいなくなることが予想されますが、それは結局アマンダが大人になるということ。
彼女がより人が作った常識を重んじるようになると、想像の世界はやがて薄れるもの。
整理するとなんとも悲しい気持ちになるのですが、大人になるまでの刹那の時間、自分自身と想像の存在がインターアクトするというのは、彼女の感性を垣間見ることになりますね。
私も十代の時に、自分のイマジネーションを活かして物語を書いていた過去があり、想像の世界がもたらす豊かなイマジネーションというのは大切な自分の力です。
一方で、普段イマジネーションはあくまで自分の中に留まっているものであり、中々周りに理解されませんね。
ひとたび理屈による理解を求めてしまうと、それは想像の域を外れてしまい、やがて常識などありふれたものになってしまうのかもしれませんね。
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