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執筆者の写真Masumi

Book Report: The Merry Adventures of Robin Hood

Author: Howard Pyle

翻訳版の有無: あり「ロビン・フッドの愉快な冒険」

映像化: あり。「ロビン・フッド」

英語レベル: Advanced寄りのBasic(一日3分英語と向き合えるレベル)


この本を読むと、「浮世離れの見本が垣間見える」というベネフィットを得られます。


過去の投稿で紹介したことがありますが、私が取り上げる洋書のいくつかはディズニー作品のもとになっています。

文字作品の内容がある程度引き継がれたまま映像化されるものや、改変して映像化されるもの。

その取扱いは様々です。

本作は物語の大筋がある程度守られながらも、映像化の際は万人向けする内容に編集されていました。

ディズニー版「ロビン・フッド」しか見ていないのでわかりませんが、シャーウッドの森(Sherwood Forest)で仲間達と悠々自適に生き、愛する人との逢瀬を楽しむというシンプルな作品が好きでした。

が、本作はロビン・フッドと彼の仲間達が経験する様々な冒険にフォーカスされていて、ロマンスは皆無でした。

彼が活躍したヘンリー王、リチャード王の御代での活躍が描かれ、その後ジョン王の時代には自分の人生のピークを感じるロビン・フッドの哀愁を感じられます。


作品を通じて言えるのは、ロビン・フッドは浮世離れを絵に描いた人で、そしてタイトルの通りとにかく明るい(=merry)人だということ。

冒頭、作品を通して敵役となるノッティンガムの代官(Sheriff of Nottingham)の親戚筋を手に掛けたことで、彼とは敵対関係となり、彼の手を逃れながらイングランド中で冒険を繰り広げます。

その冒険は、数々の仲間達を引き入れて楽しく暮らすというパターンで締めくくられます。

彼の右腕となるリトル・ジョン(Little John)、物語冒頭から彼を支える若きブレーンのウィル・スチュートリー(Will Stutely)、父の執事を誤って手に掛けたことでアウトローになってしまったロビンの甥ウィル・スカーレット(Will Scarlett)、そして望まぬ結婚を強いられる恋人の救出の手助けをしてもらったアラン・ア・デール(Allan a Dale)など、登場人物は多彩。

ディズニー版ではこの中ではリトル・ジョンしか登場しないので、ロビン・フッドには数多くの仲間達がいたんだなと感心させられます。

それも仲間に引き入れる口説き文句が、「楽しいから仲間に入りなよ」という印象を受るものばかり。

一戦交えたりするパターンもありますが、仲間入りのシーンは明るくて、読み手も楽しくなります。


ロビン・フッドが彼らしく生きられた時期はヘンリー王の御代で、その次のリチャード王に代替わりをすると、王自らロビン・フッドの元を訪れ、彼と仲間達を彼の下で働けるよう取り計らいます。

先代の王の時代は追われる身の上でしたが、リチャード王のお蔭で国家から守られるという保証を得ています。

リチャード王は戦場で活躍した王様らしく、彼につき従ったロビン・フッドも戦場に足を運びました。

エピローグでは、ロビン・フッドが輝ける時期(prime time)が過ぎ去ったことが示唆されます。

再び代替わりし、ジョン王の御代に仲間と共に森へ戻ったロビン・フッドですが、読み手である私が感じたのは時代が大きく変わってしまったこと。

ヘンリー王の御代のロビン・フッドは、後ろ盾がないものの自身が若かったということもポイントの一つですが、ジョン王時代は当然年を重ねているので、気持ちも空虚になるものです。

その間のリチャード王の御代に後ろ盾を得ていることから、それが次の王の御代になくなれば空虚になるもの。

それに加えて、一度王家に従者として属したことから、これまでの浮世離れのレッテルがはがれてしまい、再び自由人に戻ったことで余計虚しさを感じたのではないかと作品を読んで思いました。

では、王家に属すべきではなかったのかといえば、難しいところですね。

リチャード王の後ろ盾を得たからこそ、ロビン・フッドは長生き出来たのではないかと思います。

(作品のエピソードに描かれただけで、彼は二人の人間を手に掛けています。まさに法の外にいるアウトロー。)

自由でいることをを愛しながら、信頼する王に仕えて自身の人生を駆け抜けたロビン・フッドは、何物にも囚われないということを象徴するキャラクターとも言えました。



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