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執筆者の写真Masumi

Book Report: The School for Good and Evil

更新日:1月13日

Author: Soman Chainani

翻訳版の有無: なし

映像化: あり。「スクール・フォー・グッド・アンド・イーブル」

英語レベル: Advanced(一年に一冊洋書を読破出来るレベル)


この本を読むと、「自分が納得していないと置かれた場所で咲くことは出来ないと理解する」というベネフィットを得られます。


一時期、渡辺和子さん著「置かれた場所で咲きなさい」という書籍が話題になりました。

どんな環境に置かれても、与えられた役割を全うする大切さを説いた著作ですが、当然それが出来るまでに心の葛藤はありますね。

その葛藤に打ち勝って、与えられた役割を全うしたのが渡辺さんであるのに対し、私が今回紹介する作品では、納得できないでいる主人公の姿を描いています。

そう、まさしく、自分が納得しないまま置かれた場所が役割を押し付けてきたので、全く咲ききれない主人公達のお話です。


ガヴァルドン(Gavaldon)という村に住むソフィー(Sophie)は、プリンセスになることを夢見ています。

貧しい家に生まれ、父親から愛されない現実から逃げ出したい、というのが彼女の願望でした。

ソフィーにはアガサ(Agatha)という親友がいます。

アガサは村の墓地に住んでいる、魔女あるいは魔女の娘と気味悪がれる子です。

アガサは、自分のことを認めてくれるソフィーだけを支えに生きています。

そんな二人は、村に根付く言い伝えの通り、ある晩に二人は善と悪の学校(School for Good and Evil)の学校長に連れ去られ、お伽話の主人公になるべく、それぞれの学校に振り分けられます。

ソフィーは悪の学校へ、アガサは善の学校へ。

当然これは、二人にとって不本意な結果。

ソフィーはプリンセスになることを夢見てきたので、悪の学校に入り魔女や怪物の養成を受けることは断固拒否。

アガサも、こんなところに来たいとも思ったことがなく、ソフィーと一刻も早く自分達の世界に帰りたいと訴えます。

そんな二人を無視し、学校のオリエンテーションや授業はつつがなく進んでいきます。


私は本作購入後、読む前にNetflix版の鑑賞を済ませました。

お蔭でいくつか映像と本とで相違点を確認することができました。

映像版ではカットされていますが、どちらの学校もいくつか学業のイベントが発生していて、善悪双方の学校の生徒達の力試しがなされています。

ソフィーとアガサの学校におけるポジションも、映像と本とで異なっていて、ソフィーは断固として勉強を拒否することから落ちこぼれる一方、アガサは善の学校で自分のポジションを確立しながら、ソフィーの勉強もサポートする優等生ぶりを発揮します。

こういう姿勢から、ソフィーは決して善の学校に移ることはできない 笑

アガサもサポートするも、最終的には空回り 笑

二人とも全然気が付きません。


ソフィーの足掻きもよく考えればわからなくもないです。

ずっとプリンセスになりたいと願っていて、目の前に願いがあるのに、自分はその願いとは別の方向に導かれてしまう。

同時に、その願いに対しさほど情熱を抱いてもいない人、それも自分に近しい人が願いを手にすれば、悔しいに決まっている。

現実世界で魔女と呼ばれているアガサが、善と悪の学校の振り分けで善側に振り分けられ、それも彼女は大した情熱を抱いていない(ソフィーともとに世界に変えることが、アガサの一番の願い)。

その現実はソフィーには受け入れがたい事実ですが、非情にも、学校のカリキュラムではいくつかソフィー=悪、アガサ=善の判定が出ていて、読者側も二人がどの学校に位置するのか理解できる物語の流れになっています。

自分の願いだけしか考えないソフィーと、相手のことだけを考えるアガサ。

このポジションから、善悪の立ち位置は最初から明確でした。


自分が置かれた環境を受け入れる方が楽、と人は簡単に言いますが、受け入れられない主人公達の姿には、読者はやきもきしながらも感情移入してしまいます。

Netflix版では、自分が置かれた環境を受け入れた後の方がソフィーは生き生きしていましたね。

アガサの方が始終戸惑っていたように感じました。


なお、本作は全6冊のシリーズで、さらに2冊、学校長とその双子の兄弟の話も出版されています。

彼女達以外の魅力的なサブキャラクター達もたくさん登場します。



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